<日本の歴史>2022.4.10

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【パラオ共和国が日本軍に助けられて親日国になった】

19世紀後半、パラオはスペインとドイツに支配されていた。

白人の統治時代には、賃金なしで倒れるまで働かされ、

倒れれば、鞭打ちの罰を与えられる日々…

 

暴動を起こせば、皆の前で銃殺され、

公園の木に吊るされ見世物にされた。

 

奴隷のように搾取、虐殺され、

パラオの人口は減り続けた。

 

このことによりパラオの人口は

半世紀で90%も減少した。

 

しかし、ドイツが第一次世界大戦で敗れたため、

講和条約で日本がパラオを獲得。

 

そのためパラオ人たちは、

今度は日本人に支配されて、

また虐殺されると怯えていた‥

 

しかし、日本の統治時代は、

白人のそれとはまるで違っていた

 

日本はパラオに学校を造り、

病院、道路、水道、電気などさまざまな

インフラ整備を行った。

 

さらに、パラオの人々に対し医療・教育の支援を行い、

日本人とパラオ人は共に暮らした。

 

また、パラオを統治した日本軍は、

パラオ本島の南に位置する

「ペリリュー島」に進駐し陣地を作った。

 

ペリリュー島の島民も

はじめは日本兵に怯えていた。

 

日本兵は島民に丁寧に話しかけ、

彼らの警戒心を解いていった。

 

やがて島民たちは日本兵と

仲良くなり、日本の歌を一緒に歌ったりした。

 

パラオは東南アジア諸国への中継地点だった。

 

しかし、1944年なると、戦況は日本に不利となり、

いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。

 

島民たちは「日本を尊敬」していた。

だから、大人も子供も日本軍と一緒に戦う決意をした。

 

島民の代表数人は日本の守備隊長

のいる指揮所を訪れた。

 

守備隊長であった中川州男(なかがわくにお)

は温厚な人物であった。

 

だから、きっと自分達島民の頼みを喜んで

受け入れてくれるに違いない。そう確信していた。

 

そして、自分達も一緒に戦わせて欲しいと

言う確固たる意思を伝えた。

 

一同の話が終わると、場が沈黙に包まれた‥

 

しばしの沈黙の後、隊長は突然激高し、

このように叫んだ。

 

「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」

 

彼らは一瞬、

何か起こったのかわからなくなり、

自らの耳を疑った。

 

日本人は仲間だと思っていたのに・・・。

 

「一緒に肩を組み、歌を唄った日本兵たちの

思いは見せかけだったのか?」

 

「やはり、こいつらは目分たちを見下していたのだ」

 

指揮所を出てからの帰り道、島民は裏切られた想いで、

 

みな悔し涙を流した・・・

 

船に乗って島を去る日、日本兵は誰一人見送りに来ない。

島民達は、重い足取りで船に乗り込んだ。

 

しかし、船が島を離れた瞬間

日本兵全員が浜に走り出てきた。

 

そしてかつて一緒に歌った

日本の歌を歌いながら、

手を振って彼らを見送った。

 

先頭には笑顔で手を振る

あの隊長が。

 

その瞬間、島民達は悟った。

 

あの隊長の言葉は、自分達を

救うためのものだったのだと・・・。

 

島の人たちは、なにか、自分でもわからない声を

あげながら、涙でかすむ目を必死にあけて、

ちぎれるほど手を振り返した。

 

日本兵は現地の島民が戦火に巻き込まれないように

別の島へ疎開させたことにより、

 

兵士が全滅するほどの激しい戦いがあったにも関わらず、

現地民には戦死者が一人もでなかったのである。

 

当時、日本兵に助けてもらった島民はこのように述べている。

「日本軍は、ペリリュー島民を全員、疎開させることで保護してくれた。

だから島民に死傷者は出なかった。

日本軍への感謝は何年たっても忘れない」

ミノル・ウエキさん(当時の駐日パラオ大使)

「日本の兵隊がダイハツ(上陸艇)で連れて行ってくれた。

他の安全な島に着いた後も、憲兵が2日かけてジャングルの中をエスコートしてくれた。

なぜ自分たちの島から避難しないといけないのか分からなかった。

2年半ほどして島に戻り、草木がなく石だけの島を見て、もし、残っていたら死んでいたと思った。

家族で日本軍に感謝した。

 

アマレイ・ニルゲサンさん(当時9歳)

終戦後の1947年、島に戻った島民は多くの

日本兵の亡骸を見て涙した…

彼らは、島中に散らばる日本兵の遺体ひとつひとつをきれいに片付け、埋葬した。

また島には戦死した1万人の日本兵を祀る「西太平洋戦没者の碑」が造られた。

それには目のモチーフがかたどられており、

その目は3200km先の靖国神社の方角を見つめている。

 

親日国パラオに伝わる日本語の歌に感動!「緑の島のお墓」ペリリュー島の戦いに散った英霊に捧げる歌

 

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