2024.5.8 『中今を生きる』

『中今を生きる』 磐座の存在から未知なる次元の可能性を考える 虚心坦懐の感性を|矢作直樹×小名木善行”

矢作直樹(やはぎ なおき)

元・東京大医学部救急医学分野教授

著書『人は死なない』、『天皇』、『おかげさまで生きる』

 

 

問;「幸せ」の感じ方って、その時代とか、状況によって、移り変わっていくものだと思うのですが、「どんな時代になっても変わらない、人類普遍の〝幸せ〟ってあるのか?」と考えたりするのですが、矢作先生はどうお考えでしょうか?

 

矢作:幸せって、結局自分の中にあるものなんですよね。それに気づくかどうか、というだけで。もちろん環境とか、置かれた状況が、多少なりとも影響するかもしれませんが、それをどう感じ受け取るか、も自分次第なわけです。

 

多くの人は、「他者と比べて幸せかどうか?」と考えてしまうと思うのですが・・・。けれども、今の私たちの生活は少なくとも平和ですし、命の危険もあまり無い。呼吸もできて、身体も動くし、自立できている。これで満足だ、と思えたら、それでもう幸せなわけですよね。

 

そこに、自分の底無しの欲求や「(他人と比較して)まだ満たされてない」という気持ちがでてくると、その幸福感というのが、薄れていくわけですね。

難しく考えなくても、朝起きて普通に息ができることに、「ありがたいな」って思えたら、もう十分幸せなことではないでしょうか?

 

 

 

問:仕事や取り組んでいる活動が、すごく苦しくてしんどい状況に置かれていたとしても、イメージ力を忘れないことで、活路が見出せるということですか?

 

矢作:我々の「思い」の力がどれほど強いか、というのを経験してもらうことをいろいろとやってきたのですが、俗に言う「第六感」というのも、オカルトでも何でも無くて、そのイメージの力なんですよね。どうしても、自分自身で意識の壁を作ってしまう人が多いのですが、それが外れるだけで、見える世界はガラッと変わるんです。

 

別に難しい話ではなくて、「あ、そうなんだ」とシンプルに捉えたら、一気にパラダイムシフトすると思いますよ。元々古来の日本人は、鋭い感性・直感を持っていたし、それは私たちの中にも眠っているものなので、あとはそれを思い出すだけなんです。

 

 

問:矢作先生は、古代の日本・縄文時代の人々が、優れた感性を持っていた、と話されていましたね。

 

矢作:そうですね。縄文時代の人たちの「死生観」を、ぜひ取り戻してほしいと思います。縄文人は、意識が「今ここ」に合った瞬間、次元を超越したひらめき・・・たとえば、科学者であればインスピレーションが湧いたり、芸術家なら素晴らしい景色やイメージが浮かんだり、スポーツ選手ならゾーンに入って、ありえない記録が出るとか、そういう瞬間が訪れることを知っていたんですね。

これを、のちに神道では「中今(なかいま)」と言うようになりました。

 

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