<日本の歴史>2022.1.15

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今年、西暦2022年(皇紀2682年)は、60年に一度の壬寅(みずのえとら)の年です。

干支はそれぞれに意味があり、それによると「壬寅」は「陽気を孕(はら)み、春の胎動を助く、冬が厳しいほど春の芽吹きは生命力に溢れ、華々しく生まれる年になるということらしいです。

この天と地の暦は、60と28の最小公倍数の420年周期で巡り、歴史は繰り返す、世の理は繰り返すのが循環思想です。

420年前の「壬寅」「参宿」が重なった年にはどんなことが起きていたのでしょうか?。

実はまさに苦しい時期を越え、華々しい時代へと進む胎動の年であったようです。

2022年の420年前、1602年という年は江戸幕府の成立前夜であったのです。

この時期はちょうど関ヶ原から大坂夏の陣までの暗躍期であり、豊臣から徳川新時代へと移行するための、数々の布石が打たれた胎動の1年でありました。

また、豊臣家に縁が深い方広寺はあと少しで完成というこの年に、金箔押しのための銅流しの作業ミスで焼失してしまいます。

この後、10年の歳月と、巨木銘木や大量の金箔など巨額の資金を浪費し、再度大仏殿を建立しましたが、その完成法要をきっかけに鐘銘事件が起き、歴史は冬の陣へと動いていきます。

徳川家はというと、月陰の朝に日輪が登るが如く、その先に続く栄華の時代の幕開けのために着々と準備を進めていました。

翌年には天皇家から征夷大将軍に任じられ、その後260年以上も続く安定した時代へと向かう、まさに夜明け前の年だったのです。

徳川家康という人物は、非常に好奇心の旺盛な人であったそうで、齢60を過ぎてからも、西洋数学という未知の学問に邁進したそうです。

420年前の日本では、まさに金も薄ければ儚(はなか)し、大望の夜明け前は深く蠢(うごめ)き、苦しい時代を抜けた先には大きな希望が続いていたのです。

勝者と敗者、為政者と国民、冨貴者と貧賎者、しかしそれらもまた循環する、世の理は繰り返すことにあるのです。

絶えず勝ち続けられる者もいなければ、永続的に続く王朝も存在しないように、

辛く厳しい冬はいずれ終わり、暖かい春が来るのです。

冬が厳しいほど春の芽吹きは生命力に溢れ、華々しく生まれる。それが「壬寅」なのです。

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