<日本の歴史>2022.2.20

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愛のうた きみがよの旅(2)

やがてこの歌は、能の謡曲として歌われたり、お座敷で端唄(はうた)や小唄として、三味線の伴奏でさかんに歌われるようになりました。

もちろん、もともとはお祝いの歌ですから、結婚式やお正月など晴れやかでおめでたい席でも歌われます。

こうして、この歌は私たち日本人の暮らしに溶け込み、1000年以上の長きにわたって愛され続けてきたのです。

『君が代』は、江戸時代までは、わたしたちのみんなの歌、言い換えれば国民の歌でした。

 

「君が代」が、天皇に捧げる歌であるという解釈は、明治以降に生まれました。

それは、次のとこからも明らかです。

上代(じょうだい)から天皇に対して「君が代」という表現を使うのは無礼とされ、そのような表記は、古い文献を探しても見当たらないのです。

天皇に対しては、通常「大君(おおきみ)の代」「君が御代」あるいは

「すめらぎの代」「すめろぎの代」という言葉が使われました。

 

ところが、明治時代になって、国民みんなのうた「君が代」は、あたらな局面を迎えます。

「君が代」が「国歌」として歌われるようになったのです。

きっかけは、明治2(1869年)年の英国王子エジンバラ公の来日だったといわれています。

海外から大切なお客様をお迎えする際に、両国の国歌を演奏するのが国際儀礼です。

このときイギリス側の求めに応じ、日本側が提示したのが、国民みんなが愛する古歌(こか)「君が代」でした。

これに英国人フェントンが曲をつけたのが、初代国歌「君が代」です。

しかし、初代「君が代」が演奏されたのはわずか10年あまり。

その後、やはり和歌には日本独特の音楽が似合うということで、雅楽の調べを基調とした楽曲が作られ、さらにドイツ人エッケルトが西洋音階の和声(ハーモニー)の響きを巧みに取り入れて編曲し、

現在の「君が代」が完成しました。

国歌になると、国が催すさまざまな行事で歌われることが多くなります。

その時には、「君が代」という表現のままで「大君の代」と同じ意味が発生しますから、次第に「天皇のお治めになる御代」という意味が込められるようになったのです。

さらに戦前・戦中は、天皇の御代を寿(ことほ)ぐ歌として、学校でも教えられました。

このように、永い歴史の中で、捉え方は時代ごとに変わってきましたが、『君が代』は国民に愛され続け、明治以降は国歌として歌い継がれてきました。

実は、法的に国歌と定められたのは、平成及び国歌に関する法律」が制定され、『君が代』は、正式に日本の国歌となりました。

国歌を天皇陛下と国民が一緒に歌うとき、国民は「陛下のご長寿と平和なこの国がいつまでもいつまでも続きますように』と願いますが、

陛下は、国民も命の尊さを思い、我が国と世界の人々の安寧と幸せを、そして平和を祈ってくださいます。

お互いに思いやるこころが響きあう歌、それが「君が代」なのですね。

わずか32音からなる、世界で一番短い国歌『君が代』。

その歌詞は10世紀にはじまり、世界で一番古い歌詞を持つ国歌でもあるのです。

そこには、和を尊び、命を慈しむ、先人たちの真心があふれています。

もしかしたら「君が代」は、先人たちから今を生きる私たちに、そして同じ地球に暮らす、あらゆる命に向けられた、時空を超えたラブレターなのかもしれません。

長い歴史の中で、国民みんなのうたとして愛され、やがて国歌となった君が代の「旅」。

この度が、地球に暮らす私たち家族の未来に希望の光を灯してくれることを信じて、この絵本を作らせていただきました。

 

著者:白駒妃登美氏

『ちよにやちよに』 ご挨拶動画  https://www.youtube.com/watch?v=l3fmt2VSbP8

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